希望があれば
(こちらは春に綴ったものです)
サグラダファミリアを初めて訪れたのは、私が大学4年生の冬だった。当時の私は、好奇心の塊で、アジアとは違う街並みに憧れ、違う言語を話す人々との出逢いに心を踊らせていた。
ミラノ、アテネと周り、バルセロナに辿り着く。バルセロナの冬は厳しく、街の風景はちっとも思い出せないのに、サグラダファミリアにただただ圧倒された記憶だけは残っていた。
10年経ったいま、私は、迷っていた。この後の行き先がちっとも見えなかった。東京に、いや自分の不甲斐なさに息が詰まり、どこか遠くへと、手を伸ばしていた。
旅の準備はできているのに、行き先が決まらず、方南町にある友人宅で頭を抱えること数日。「いい加減決めなよ」と友人に笑われる中、安くて遠い場所への航空券を必死になって検索していたところ、バルセロナ行きの38,000円のチケットを見つけた。正直、スペインにはあまり心惹かれていなかった。人混みと、言葉が強い街が苦手だったから。1年学んだスペイン語に、少しアレルギーがあったことも理由のひとつ。
ふと、バルセロナにはサグラダファミリアがあることを思い出した。また、少し前に、福岡の知人から「サグラダファミリアの外尾さんって知ってる?福岡出身の方なんだけど、もの凄い人だよ。きっと衝撃を受けるよ。スペインに行く機会があれば、訪ねてごらん」と言われていた。また行く機会なんてあるだろうか、とその時は心の奥に留めていた。
胸がざわつき、何かに呼ばれている気がして、すぐにチケットを手配。翌日の便でバルセロナへ飛んだ。途中、モスクワで2時間のトランジット。久々の遠路に、心を踊らせていた。
約10年ぶりのバルセロナは、とても美しかった。道幅が広く、京都の碁盤の目のように整然と区画されている。空港も、鉄道も、街並みも、まるで初めて訪れたかのように新鮮に感じた。
チケット手配を終えてから、飛行機が離陸する寸前までhostel探し。サグラダファミリアにとにかく近い場所をと、約10分ほどの場所に位置するBIKE&BEDを予約。バルセロナで空港泊をしていたため疲れはあったのだが、朝8時にhostelに向かい、服を着替えて荷物を預けた。この宿が、非常に良かった。良い気が巡り、人の良い旅人たちが集っていた。
奇跡的にサグラダファミリアの11時の入館チケットが予約できたため、少し時間は早かったが、早速サグラダファミリアへ足を運んだ。鞄の中には、もし外尾さんにお会いできたならお渡ししようと思って用意した八女茶と、メモ帳とペン。それに、水とお財布。
歩くこと10分。角を曲がった先に見えた、大きな大きな姿に、何故だか涙がポロポロと流れて止まらなかった。あぁ、サグラダファミリアだ。こんなに大きかったんだ。
数日前まで雨続きだったというのが嘘のように、この日のバルセロナは久々の晴天。たくさんの観光客がサグラダファミリアに集っていた。11時にはまだ早かったため、周囲をぐるぐると歩き、まじまじとその姿を眺めていた。建造物というより、樹木のような、命を持った土の塊のような。クレーンがかかり、作業員が屋根に登り、ガラスのゲートがある。ガウディの魂がこの2018年に息づいている様子が、とても不思議で感動的だった。
11時に15分早い頃、11時台のゲートが開き、入場が始まった。ゲートを通過した先には、見上げても見切れないほどの建造物、美しく彫刻された扉。
中に足を進めると、七色の光が足元に降ってきた。外観の雄大さとは対照的に、内部は光に満ちた、それはそれは優しい空間だった。こんなに美しく自然と調和した建造物を、私は今まで見たことがない。天井や壁の模様にステンドグラスの光が安らかに脈打ち、ここでは時間が無限のように感じる。丸いフォルムの石のベンチに座り、上を見上げて暫く動けなかった。
事前のアポイントもないまま、失礼を十分承知で、でもどうしても外尾さんにお会いしたいと思った。
私は、若い誘導の女性スタッフを見つけ、日本から来た者で、どうしても外尾さんにお会いしたいのだと熱心に伝えた。”Mr.Sotoo”と伝えると、あぁ知ってるわよ、という感じで、追い払われるかと思いきや、インカムで仲間に聞いてみると言ってくれた。彼女の返事を待つ間、冷や汗がでた。すぐに会えたらどうしようと、緊張が募った。すると、「今、Mr.Sotooはランチに行っているみたいね。2時間後にまた来たら、戻ってきてるんじゃないかしら。また数時間後に、informationに聞いてみて。」と言われた。
何故だか半ばほっとした私は、2時間、サグラダファミリアの中をウロウロと歩いて周った。壁の模様から、入口の彫刻のつくりの細部までじっと眺めて、またここに辿り着けた感動を噛み締めていた。
外尾さんにお会いできる保証なんてどこにもない。もしお会いできたとしても一瞬だ。仕事中だと一括されて終了かもしれない。時間が近づくにつれ、緊張で目眩がしてきた。
私は外尾さんに手紙を書こうと決めた。たとえお会いできなくても、一言、御礼を伝えたかった。北野武さんがスペインに来る時には必ず会いに来る人だ。私のような無名の日本人からの感謝なんて、と少し落ち込みながらも筆を走らせた。
もうすぐ2時間という頃、八女茶と手紙を握り締めてimformationに向かった。お会いできる確率は、5%というところ。もしお昼から戻って来られていても、アポ無しでは面会NGと言われるだろう。不安を抱きながらスタッフに尋ねると、案の定、”No no, you cannot.”と断られた。でも、どうしても諦めきれなかった私は、最初にインカムで聴いてくれた女性スタッフを探した。
遠くに彼女の姿を見つけ、追いかけて、「informationでは取り次いでもらえませんでした。どうか、もう一度、聞いてもらえないでしょうか」と頼んだ。泣くつもりなんてないのに、緊張からか涙が目に溜まってきた。彼女の隣にいた年配の女性スタッフが”No, No. you cannot.”と言うのを遮って、その女性スタッフは”I do.”と、電話を掛けてくれた。電話が繋がった。彼女はスペイン語で少し話した後、私に”He is talking.”と、電話を渡してくれた。足がすくんだ。
「外尾ですが、どちら様ですか。」
「事前のアポイントも無く、突然に大変申し訳ありません。」
「仕事中です。どのようなご用件ですか。」
「特別な理由はありません。ただ、外尾さんの記事をいくつも読み、どうしてもお会いしたくて日本から来ました。今、人生の岐路におり、悩みながらこちらに辿り着きました。失礼を承知で、スタッフの方にご相談しました。」
「...分かりました。5分程度ならいいですよ。そちらに行きます。」
電話が終わると、女性スタッフはウインクをくれた。年配の女性スタッフは、呆れた様子だったが、笑顔をくれた。
外尾さんを待つ間、身体が冷え、足が震えていた。なるべく端の方にと、立ち位置を変えながら、外尾さんの到着を待った。
間も無くして、黒い布ハットを被り、白い髭を生やした男性が歩いて来た。心臓が止まりそうだった。
「外尾ですが」
私は、突然の訪問を深く詫び、想いの丈を話した。
「今、自分の行く先が分からなくなっています。どこに行けばいいのか、何を信じたらいいのか、見えなくなりました。そのような中で、またここを訪れたいと思い、辿り着きました。」
すると、外尾さんは、
「サグラダファミリアには、そんな人がたくさん来るんだよ。よく来たね。」
その言葉を聞いた瞬間、緊張の糸が切れて、涙が溢れた。
「せっかく来てくれたんだから、良いものを見せてあげよう。こっちに来てごらん。」
外尾さんは正面門の扉に向かい、留めていた鍵を開け、ギギギと開く。そこには、菖蒲の花が咲き乱れていた。彫刻でこんなに鮮やかに。
「ガウディはね、自然をとても愛したんだ」
息を呑む美しさだった。
「僕らは自然の一部なんだよ」
「もう一箇所」
もう片方の門に向かい、ごらん、と薔薇の中にいる鳥の彫刻を指差した。
「ここにある鳥たちはみんなつがいなんだ。ただ、見てごらん、蠍は一匹だけだ。何故だか分かる?」
私は涙を拭きながら、いえ、分かりませんと答えた。
「蠍は相手と殺し合い、一匹だけが生き残ったんだ。そこには信仰はなかった。つがいの鳥たちは殺し合うことはせず、互いを守るんだよ。信仰や希望が共に生きることを支えているということを、ガウディは伝えたかったんだ。」
外尾さんはスタッフに有難うと伝えると、最初の場所へ戻り、こう話した。
「君にはきっと、健康な身体と、きっと良い友達がいるだろう」
はい、と頷くと、
「いいかい、好きなことだけをやりなさい。嫌いなことはやらなくていい。希望がある限り、人は生きていけるから。心配しなくとも、大丈夫だよ。」
そう言うと、目を腫らした私の肩を、じゃあ元気で、と叩き、優しく笑ってその場を去っていった。
暫くの間、私は呆然としてその場に立ち尽くしていた。5分間が、数時間に思えた。
軽い頭痛を感じながら、また暫く、サグラダファミリアの中を歩いて周った。ガウディが伝えたかったこと、残したかったもの。外尾さんが感じたこと、ここに来た理由、向かう先。
私の行く先は、きっと深く息ができる場所に違いない。希望がある限り、そう思える。
私はこの日の出来事を、一生忘れないだろう。そしてまた、この場所を訪れるだろう。その時は、今よりも、もっと笑っていられますように。
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