世界の災害に対して私たちができること

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たいそうなタイトルをつけたものの、書いている私も日々悩みあぐねいているのが事実で、みなさんと共に考えていきたいと思っています。

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台湾では20世紀で一番大きな地震といわれる、921大地震から19年。

先日、2018年2月6日に台湾東部の花蓮(Hualien)県を中心に発災した地震の知らせは、すぐに日本に届いた。震源は台南の南東43キロ付近。震源の深さは10キロと比較的浅かったのだが、M3.8以上の余震が5回以上観測された。死者数は2月11日までに計17人となった。

台湾といえば、今でも思い起こされるのは、台湾921大地震。

台湾時間の1999年9月21日1時47分18秒(日本時間2時47分18秒、協定世界時20日17時47分18秒)に、台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生したモーメントマグニチュード7.6の地震。2400人以上が死亡した。

 

その頃、私は15歳。熊本の学校に通っていて、中学校生活を、みんなと仲良く過ごすことと、高校受験の勉強に必死だった。そんな中、飛行機で2時間ほどの場所でおこった大きな出来事。中学生の私にとって、「台湾」という国はとても遠い場所で、どんな表情の人たちが、どんな風に暮らしているのか、どんな言葉を話しているのか、想像もできなかった。でも、テレビから流れてくる映像や音声から、大変なことが起こったことには気がついた。

  

さらに遡ること4年前の1995年1月17日には阪神・淡路大震災。小学生の時だった。兵庫県という土地はとても遠く思えたし、知り合いもいなかったのだけれど、両親の落ち込んだ表情をみて、私も心がチクチクした。誰かが悲しんでいるのは、いやだ、と思った。

  

誰かが泣いている

誰かが叫んでいる

ご飯が足りないみたい

毛布が足りないみたい

怪我をしているみたい

  

行ったことのない土地でも、言葉は分からなくても、心のどこかにぽっかりと穴が空いてしまったような感覚は子どもの頃からずっと変わらなくて、歳を重ねるたびに強くなってきた。

  

台湾だけじゃない。

地球上では、日々多くの生活のそばに自然があって、時に津波や山崩れを引き起こしたり、巨大な竜巻が発生したりしている。道路の状況や天候によって初動のタイミングは違えど、機動隊や警察消防が出動し、基金の窓口が立ち上がり、近くの道路やアーケードに水や食糧を配る人が集まり、みなできることを黙々と進めていく。


国単位の動き、国際機関の動き、軍の動き、民間団体、個人・・・

災害が発生すると、複数のレイヤーの組織が同時並行で始動する。公的機関の役割は、混乱した情報の整理・発信と、関連機関との連携など。民間が相容れない部分も大いにあるが、民間の尽力がなければ助からなかった命もある。ただそれは、救助ですぐさま現地に行くことではないかもしれない。むしろ、現地への応援だからと物資を運び入れることで、渋滞を引き起こし、宿を逼迫させることが多い。

    

私の場合、大使館やネット上での情報を複数確認し、募金であれば可能な範囲で応援し、その状況を周囲に伝えるようにしている。現地の人たちの無事を祈りながら。


そう、現地の無事を祈りながら、その時に自分の環境でできることをし、そしてこれまでどおりに生活を送っていく。家族を守りながら。大切な人に、「約束された日々なんてないこと」「今できること」を伝えながら。

      

できることって、たくさんある。

あなたにも、私にも。

    

世界中のひとが、誰一人孤独にならず、温かい気持ちでいられますように。

Blue Empathy

自然と、人と。 深く連れ合いながら、時に訝しみながら。 一筋の共感を、共に生きる力へ変えていくことに心を注いでいます。 ここでは、自身の取り組みのこと、また世界を旅しながら出逢った景色や、現象や、人を通じて感じたことを気ままに記していこうと思います。

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