「平気で生きる」
「余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」--正岡子規(詩人・俳人)随筆『病牀六尺』の中に書かれたことば
人は、こんなにも弱い。
そして、これほどに強い。
東日本大震災がおこってしまったあとから、数年間の間、当時そこで出逢った学生たちの成長を追ってきた。
近い場所にいなかった私でさえ、様々なベクトルが変わってしまった。
泥かきをしている時だけが無心になれ、避難所のおばあちゃんの肩もみをすれば心が溢れきってしまいそうで、行き帰りのバスでは声を殺して泣いてばかり。
とても自分を支えきれず。それほど、私は弱いのだった。
久々に、その当時出逢った学生さんに会った。
東京で仕事をしはじめたようで、ふと思い出して連絡をくれたのだった。
下北沢の喫茶店で、アイスコーヒーを2つ注文すると、彼は、ポツリポツリと、亡くなったご家族のことや、最近の心の揺れについて話をしてくれて。その表情は明るく、こんな年齢で、たくさんのことを背負ってきたのだろうと思うと胸がいっぱいになった。
小一時間経った頃、もう私が次の場所へ行かなければならないと声をかけると、「あの、」と振り絞るような声で、彼は言った。
「僕も、これからは心を塞いでしまった人を助けたい」
すぐに会えなくても、また連絡を取り合いましょうと言って外に出ると、空は薄いオレンジ色で、紫がかって、あの日石巻でみた夕日と似ていた。
幾らかのバリアーを張って家や駅を出なければ、飲み込まれそうなほど、東京という場所は大きい。「平気で生きる」ことは、難しく、尊い。
でもね、君ならきっと大丈夫。
またいつでも連絡しておいで。
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