「心理学」から読み解く、防災と被災地支援のいま


「傍観者効果」という言葉がある。

目の前、またはテレビ越しであっても、援助すべき人がいる状況で、自分以外の傍観者(周囲の他者)がいる時、率先して行動をおこしにくくなる効果のこと。多くの場合、「どうしよう」「助けに入ったほうがいいよね」と葛藤している間に、手遅れになってしまうことが多い。


関係するものとして、

・他の人がやる/やらないからやる/やらないという「同調効果」

・周りと同調することにより責任が分散されると考え行動にうつせない「評価懸念」

・周りが行動にでないために、緊急性が低いと考えて行動にうつれない「多元的無知」

というような理論もあり、いずれも災害時だけでなく、日頃の生活でも頷ける事象が多い。


福岡に引っ越してきてから、2017年7月に「九州北部豪雨」が発災した。

7月4日まで北陸付近にあった梅雨前線が、7月5日から朝鮮半島から西日本付近に南下し、5日午後には、福岡県筑後地方北部で次々と積乱雲が発生し、発達しながら東へと移動して線状降水帯が形成され、記録的な降水となった。この豪雨により、福岡県朝倉市、大分県日田市、東峰村で甚大な被害となった。(福岡県で34人(朝倉市で31人、東峰村で3人)、大分県日田市で3人の計37人の死亡が確認。福岡県朝倉市で4人が以前行方不明。住宅被害は、福岡県と大分県の合計で、全壊288棟、半壊1079棟、一部破損44棟、床上浸水173棟、床下浸水1383棟:2017年9月8日消防庁調べ)

現地に赴くとまだ復旧の半分も終わっていない深刻な状況なのだが、報道だけでいうと、全国報道は約2週間ほど、県内/域内報道は1ヶ月ほどだったように記憶している。ボランティアも、発災後3週間ほどは週末にかけて2,000〜4,000人ほどだったが、現在は多くのボランティア団体が撤退し、片手で数えられるだけの団体が今も現地で活動を続けている。

この災害に限らず、人の関心はこうも報道に左右され、あっという間に他へ移っていくのかと日々感じている。


人の関心度合いは、

「自分自身に関係があるかどうか」

「自分自身がやる意味があるかどうか」

の2点に大きく関わっている。


1点目は、自分または家族が住んでいる/住んでいた地域であったり、大切な友人や知り合いがいる地域だったり、以前何かしらの機会に行ったり学んだ土地だったりということが関係している。大きな災害や事故が発生すると、私たちの脳では、原始的な部位である大脳辺縁系の扁桃体(へんとうたい)が活性化し,緊急事態に対処するために身体が準備をし始める。目の前まで津波が押し寄せたり、工事現場のパイプが目の前に落下したりするなど、自分自身が深く関係するものであればあるほど、その度合いが高まり、身体は一種のパニック状態になる。

そのような中でも、人の記憶は、過去の報道や見聞(大災害や事故だ題材となった映画など)を元に知らず知らずの間にシュミレーションがされており、迅速な行動ができる場合も多い。


2点目は、「自分がやる意味があるかどうか」。これは非常に難しい点である。

そもそも人間は、集団の中で助け合って生きる動物であり、個体でいるよりも集団で生活することが安全・安心。ここには、「自己」と「社会的自己(他者評価を基準として得られる自己)」が存在し、災害支援などでは「自己」よりも「社会的自己」のほうが顕著に表れるケースが多い。決して悪いことではなく、人は他者の中でしか生きられないのだから当然だ。

怒り・悲しみ・喜びなどといった「基本情動」に加え、「愛」「正義感」「感謝」「罪悪感」「誇り」などといった「社会的感情」をもとに「社会的自己」は形成される。


well-beingの話にもなるのだが、人は何によって幸せを感じるのかという議論の中で、「人との繋がり」が常にトップにあがってくる。それは家族だったり、見知らぬ国の少女だったり。私たちは、困っている人がいると、その人を助けるために様々な行動を起こす。電車で座れないおばあちゃんがいれば席を譲ったり、エレベーターでベビーカーを押す人のためにボタンを長押ししたり、ボランティア活動に励んだり、同僚の仕事を手伝うことだってそうだ。なぜこのように多くの援助行動がおこるのかというと、私たち人間は「援助行動によって、自分自身の人生に意味や価値を見出し、自分自身も幸せな感覚を得る」からである。

(上写真:先日、Bridge Kumamotoのメンバーで、鳥取県を訪問。現地の方々と共にブルーシートを洗浄するワークショップを開催した。本日10月21日で鳥取地震から1年を迎える鳥取。あの時感じた不安を前を向く活動に変えていく。そのお手伝いができて、私は幸せだった。)

(上写真:参加した子供たちと一緒に炎天下での洗浄作業。)


被災地支援に足繁く通う人の中には、「自己満足だ」「その交通費で寄附をすればいいのに」という声をうけている人も珍しくない。私もその一人。

こうした意見は、時には緊急時の効率性から意味をもつことがあるが、たいていの場合は人に批評されるべき事柄ではない。

人の社会的自己のタイプも援助行為も様々で、直接現地に行って自分の目でみて力を尽くすことで相手も自分も癒す人と、生活の状況に応じた寄附によって支えとなる人もいることは、本来健全なかたちであるように思う。自分と違うタイプ/考えの人に非難がいってしまうのは、その人の社会的自己が否定されたような気持ちになるからであって、昨今のSNSがそれをよくも悪くも刺激している。

テレビやSNSは多くの人に届くのが効率的/効果的な反面、そのメッセージが良い/悪いに関わらず「これは自分だけへのメッセージではない」という一種の疎外感を生み、「自分には関係のないことだ」「他の誰かがやってくれるだろう」という心理状態に繋がる。「傍観者効果」は、こうしたところから生まれ、大事故・大事件に繋がることもある。


「自分がどう見られるか」「見られたいか」という感情は、相手や環境が変わると変化するため、常に他者によって左右されてしまう。これは心理的にストレスがかかるものでもあり、自分への自信が低下してしまう。


重要なのは、この社会の中で、「自分がどういった人間でありたいか」「どのような生き方をしていきたいか」を考え、自分の内を見つめることだ。


予期しない災害や事故は必ずやってくる。

そうした時に、自分はどう動くのか。どう生きていきたいのか。


そうした思考をめぐらせ、大切な人と共有していくことが、これからの防災や支援に繋がっていくと信じている。





Blue Empathy

自然と、人と。 深く連れ合いながら、時に訝しみながら。 一筋の共感を、共に生きる力へ変えていくことに心を注いでいます。 ここでは、自身の取り組みのこと、また世界を旅しながら出逢った景色や、現象や、人を通じて感じたことを気ままに記していこうと思います。

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