「頼れる存在をつくる」ことの意味


そもそも、「防災」とは何だろうか。

「減災」という言葉の方がしっくりくる人もいるかもしれない。

だって、災いを完全に防ぐことはできないから。


「災い」にはいくつか種類がある。

天災、パンデミックなどの感染、交通事故やサイバーテロなどの人災もそうだ。

中には、どう準備したって逃れられないものもある。


重要なのは、たとえ何がおきても、自分なりのルールづくりと、頼れる存在を3つ作っておくことだ。

・ひとつは、自分自身。

・もうひとつは、地域のひと。

・そして最後に、地域外のひと。


まず、「自分自身」。

格闘家やスタントマンなど、どれだけ体力に自信があるひとでも、いざ災害がおこってしまうと身動き一つ取れなくなる可能性がある。また、一次災害で無事であったとしても、その後、避難所までたどり着けなかったり、食糧にありつけない可能性だってある。

そうなったときに大切なのが、どんな状況でも助かる工夫を、普段からしておくことだと思う。

ぱっと思い浮かぶものでいうと、最低限の防災グッズ。

私の家の玄関にも用意してあるが、正直なところ、「防災グッズ頼み」になっている人をよく見かける。私の知人は、5万円ほどする大きなスーツケース型の防災バッグを購入しており、誇らしげにたくさんの人に話していた。彼女の行動を否定する気は全くない。ただ、道具はあくまで道具であって、使えないと意味がない。また、外出中に被災することだってある。自宅にしか準備していない人は、「あぁしまった」と思うだろう。


そのために、日頃から使い方を知っておくことや、たとえ手元になかったとしても、日頃の生活の知恵をフル活用して、生き残ることが重要だ。


私の近所のおばあちゃんは、味噌を小さいボールにして「味噌玉」として家の暗い場所に寝かせておいたり、大雨が降ると干物を焼いて食べていた。空襲を経験しているから、いざとなったらこうする、という自分の行動の知恵がある。


私の友人は、キャンプが好きで、毎週末のように福岡の糸島や佐賀にキャンプに行っている。川べりだって、山奥だって、なんてことない。必要あれば、木の実を食べたり、火をおこして魚を焼いたりして空腹をしのいでいる。簡易的なトイレだって、自分で作るそうだ。「僕は、被災してもたぶん3日間は自力で生きられると思う」と話していた。


こうした人が増えることで、いざとなった時を切り抜けられる人が増えるのではと思う。まずは自分自身だ。自分が無事じゃないと、誰も助けられない。それは、大切な人を守るための「優しい責任」でもある。


次に、「地域のひと」。

自分が大変な状況にあるとき、それは家の下敷きになって動けない時かもしれないし、助かったけれど足が痛くて避難できないとき、またアレルギーがあって避難所のご飯が食べられない時かもしれない。

そうした時に、頼れる人が近所にいるというは心強いものだ。

熊本地震がおこったとき、ある地域では、消防団の人を中心に町を巡り声をかけあって、救出を急ぎ、二度目の揺れの前にお年寄りの方を避難させられたそうだ。


また、私の友人の三城賢士さん、池田ちかおさんの二人は、「TEAM 熊本」という社団法人を作って、支援の行き届かない集落地域に小型のワゴンで物資をピストン輸送していた。彼らは「竹灯り演出」を仕事としているのだが、この集落には、竹のワークショップで何度か行っていたことがあり、地元の方と信頼関係ができていたと聞く。

足がよくない人もいれば、アレルギーを持つ人も、妊婦さんも、人工透析の人も、この社会にはいろんな人がいる。私だって、メガネがなくなれば視界が閉ざされて歩けないし、腰には事故の後遺症が残っている。そのことを、身近な人が知ってくれているだけでほっとする。


そう思うと、その土地土地のお祭りや、日頃からの声かけが寄与するものは大きい。生活が便利になるにつれて、関係性が希薄化し、隣に誰が住んでいるのかも分からないことがむしろ安全だという神話ができあがってしまった。

熊本地震の翌年に開催された阿蘇神社のお祭り。

「あんたんとこの妹さん、元気やったね」そんな声が多く聞かれた。

もちろん、災害は二度と起こってほしくないが、きっと近年の災害は、私たちにその希薄さを問うているのだとも思う。


最後に、「地域外のひと」。

これはもしかしたら、意外に思う人もいるかもしれない。

ただ、実際、東日本大震災でも、常総の水害でも、熊本地震でも、地域外に頼れるひとや団体がいたから、つらい避難生活を乗り切ることができた、支援を加速できたという話をよく聞いている。


5年前の九州北部豪雨をうけて、私の故郷、福岡県八女市も大きな被害を受けた。自宅の床にも水が迫り、私は東京にいながら怖くて、家族の安否を思うととても心細かった。山間部の星野村では、落石により、道も閉ざされ、ヘリでの救助が行われていた。生活は寸断。そのような中、2011年で被災した宮城県から、大量の支援物資が八女市に届けられた。「困った時はお互い様です」との手紙が入っていたそうだ。福岡の支援網が安定しない中で、とても心強い支援だった。

平成24年の九州北部豪雨。死者30名、負傷者27名、家全壊363棟、半壊1,500棟など、甚大な被害があった。

私の実家の前。ここから水位が急激にあがった。


同じ地域内で被災した場合、助けを求めても届かないことがある。そうした時に頼りになるのが、地域外のひとやコミュニティ。FacebookやTwitterなどのSNSもコミュニティのひとつ。ただ、あまりに波及効果を持っているために、収集がつかなくなり、肝心なところに支援が届かないこともしばしば。

そうした時に、直接顔を知っている人が日本や海外のどこかにいて、1:1で連絡が取り合えるというのは、精神的にも救いになるだろう。


私にとって、東京に住んでいた時に仲間と立ち上げた福岡出身者のコミュニティ「リトルフクオカ」は、熊本地震の際も、九州北部豪雨の際も、「できることがあれば、何でも言って」との応援の声をたくさんもらい、とても心強かったのを覚えている。

リトルフクオカ。今や2000人以上のコミュニティに成長した。

結局人は一人では生きてゆけないのだから、ゆるやかに繋がり、困った時は頼って、助け合えばいいんだと思う。


防災の考え方やアプローチは人それぞれ。どれも正解だと思います。

ただ、道具の種類だけが話され、それを使う人たちや、普段の繋がりが話されないことが往々にしてあるような気がして、メモにしました。


ここまで長々と読んでくださった皆様、有難うございます。

当たり前といえば当たり前の話かもしれませんが、改めて言葉にしてみると、大切なことだなと実感しています。

次回は、日頃から利用でき、いざという時に便利なテクノロジーの紹介をしたいと思います。

Blue Empathy

自然と、人と。 深く連れ合いながら、時に訝しみながら。 一筋の共感を、共に生きる力へ変えていくことに心を注いでいます。 ここでは、自身の取り組みのこと、また世界を旅しながら出逢った景色や、現象や、人を通じて感じたことを気ままに記していこうと思います。

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